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ジャズサンバの歴史#1

ひょんなことからネット上でジャズサンバの論文を見つけたのは4月の中旬。
開いてみたものの、ポルトガル語に大苦戦し読破を半ばあきらめておりました。
しかしこの論文の著者でありJazzをはじめとするブラジルのインストゥルメンタルミュージック評論家、ジャーナリストのJosé Domingos Raffaelli (ジョゼ・ドミンゴス=ラファエッリ)氏が今年4月26日に77歳でその生涯を終えたというニュースを見たときに、僕はもしかしたら彼から託されたのでは?という、まあ完全に思い込みなのですが、そんな気持ちになりました。

ということでそんな彼が生前、音楽紹介サイトに掲載するために書いたこの論文を高橋淳一a.k.a.JT氏の協力を得て翻訳し、ここに掲載させていただき、彼のご冥福をお祈りしたいと思います。

この論文をよんでいただきジャズサンバに興味を持つ方が一人でも増えればと思います。



サンバジャズの歴史
著者: ジョゼ・ドミンゴス=ラファエッリ
ジャズとブラジル音楽の評論家、作家、プロデューサー、教授。

これは、ペトロブラス出資による百科辞典編纂プロジェクト"ブラジル音楽プロジェクト"のために行われたものである。


ジャズとブラジル音楽、両者は明確に異なる音楽であるが、アフリカにルーツを持つなどの共通点も多い。
ブラジルとアメリカ合衆国に奴隷がつれてこられた後に何があったのか、そしてどこで二つの音楽的ルーツが再会したのか、この二点は歴史的に重要な観点である。

ブラジル音楽とジャズを関連付ける物はなにか?ブラジル音楽はジャズとアメリカ音楽に影響をうけたか?ブラジル音楽はアメリカのジャズメンに影響したか?
これらの魅力的でエキサイティングな議題へのアプローチは、様々な出来事の時系列に基づいた観察と考察から行うとする。

すなわち

・ブラジル人が好むアメリカ音楽とは何か?
・海外で評価される、または評価されたブラジル音楽とは?
・サンバジャズ、ジャズサンバ、またはブラジリアンジャズなどと呼ばれるスタイルを生んだ、二つの言語の融合とは?




ジャズとブラジル音楽との関係は表面に表れるものよりずっと親密であり、その親密さは驚くべき物だ。

まず、両者ともにアフリカの西海岸地域から奴隷として連れてこられた黒人の文化を発祥とし、文字通り同じルーツを持つ。
奴隷は容赦のない鞭の監視下で休む事なく酷使された。その苦しみを和らげた唯一の慰めは労働の中で歌う歌や、夜に歌う嘆きの歌や、宗教歌や子供に歌う子守歌であった。

また、奴隷船の行き先によって黒人の兄弟がアメリカ大陸の南北に別れる事もあった。
このようにして、二つの音楽は同じルーツから分かたれていった。

では、二つの音楽の音楽的傾向を異なるものとした要因はなにか?
これははっきりしている。

アメリカでは、特にルイジアナ州ではフランス人が大元のアフリカ音楽に手を加えた。
アメリカで最初にアフリカ音楽に変化が起こったのは、カドリールというフランスのとある地方のダンスが流行した頃だと言われている。

一方、ブラジルではポルトガル人(いくつかの州では、少ないながらもフランス人とオランダ人)が入植し、その習慣、風習、宗教などの文化を持ち込んだ。ポルトガル人が持ち込んだフォークロアのリズムがブラジルのアフリカ音楽に影響を与えた最初の外的要因となった。

しかし上記の変化はゆっくりとしたものであるし、おそらく他の様々な要因もあったのだろうが、それらは歴史の塵のなかである。

その後のアメリカでは、強力なシンコペーションが特徴のラグタイムケークウォークと呼ばれる舞踏が誕生するが、これは奴隷の音楽とカドリールの融合からの自然な延長と言える。
なかでもスコット・ジョプリン(1868-1917)はラグタイムの作曲家の中でもっとも有名で、数え切れないほどのミュージシャンに影響をもたらした。

現代でも謎のままとなっているのだが、ブラジル音楽のショーロやポルカ、ヴァウサの先駆者として知られるエルネスト・ナザレ-(1863-1934)を聴くと、ラグタイムに非常に近しい物に聞こえる。
この発見は音楽研究者たちをラグタイムとショーロの間の、すなわちジャズとブラジル音楽の祖先たちの間の繋がりを暴こうと突き動かした。 しかしながらその努力は実を結ばなかったのであった。

ScottJoplin[1] 
スコット・ジョプリン(1868-1917)            

Ernesto Nazareth

エルネスト・ナザレー(1863-1934)   




ジャズがどのようにブラジル音楽に影響を与えたのか?

1920年代に、アメリカのバンドによってフォックストロット(アメリカンスタイル社交ダンスの1つ)がアッシリオ劇場(当時のリオにおける有名なナイトクラブ)で演奏されていた。
ブラジルのミュージシャンたちはこぞってアメリカ音楽を聞き、メロディーを覚え、リズムを真似し、フレーズを分析し、フォックストロットの様式を吸収した。そしてそれらは次の10年でまとまっていく事になる。

ブラジルに ポール・ホワイトマンやジーン・ゴールドケット、フレッド・ワーリングやユージン・オーマンディのレコードが入って来た頃、ブラジルのミュージシャンたちはそのスタイルに対抗する術を模索しており、 それらは例えばFon-Fon(フォンフォン), Romeu Silva(ホメウ・シウヴァ), Simon Boutman(シモン・ボーチマン), Francisco Marti(フランシスコ・マルチー)のオーケストラに表れている。

40年代からのグレン・ミラー、アーティ・ショウ、トミー・ドーシー、ベニー・グッドマン、ハリー・ジェームスのオーケストラを扱ったライブ映画を筆頭に、トーキー映画の登場はブラジルも含めて世界的にアメリカ音楽を広めた。
ブラジルに Napoleão Tavares(ナポリアン・タバレス), Silvio Mazzuca(シウヴィオ・マズーカ), Zaccarias(ザカリア) , Mid-Nighters, Peruzzi(ミッドナイターズ、ペルッジ)そして有名なTabajara(タバジャラ)といったオーケストラが誕生したのもその頃で、特にTabajaraのリーダー、クラリネットのSeverino Araújo(セヴェリーノ・アラウージョ)はアメリカ・スウィングジャズの先駆者でクラリネット奏者ベニー・グッドマンに師事していた。

Radio-Campinarte[1]
Orquestra Tabajara

ジャズの影響は徐々に積み重なっていった。ブラジルの楽器奏者たち、ショーロ奏者、伝統的な音楽の演奏家、北東部音楽の奏者たちもジャズに影響を受けだす。

さて、いつ、どのように、どこでジャズとサンバが融合し、ブラジルのモダン音楽になっていったのだろうか?

この融合の種が蒔かれたのは1953年4月、ブラジル人ギタリストのLaurindo Armeida(ラウリーニョ・アルメイダ)、とアメリカ人サキソフォニストのバド・シャンクによって"Brazilliance(ブラジリアンス)"の収録がロサンゼルスで行われたときだった。この実験的なアルバムで、ブラジルのギタリストとジャズのサキソフォニスタは革命的な新機軸を打ち出した。ブラジルのレパートリーをジャズの言葉でShankが即興したのである。

laurindoalmeidaquartetfeaturingbudshank-laurindoalmeidaquartetfeaturingbudshank[1]
「Brazilliance Vol.1.」 Bud Shank & Laurindo Almeida Quartet (1954)

大きな括りでは、この時Shankが取り入れた物は後にジャズサンバ、ブラジルではサンバジャズとして知られるようになる音楽の基礎に繋がって行くものだった。
"Brazilliance"がブラジル音楽に与えたインパクトは凄まじく、それまで想像されたことすらない新しいスタイルを開拓したと言える。
興味深い事に、同時代の有名なブラジル人サキソフォニストが「ブラジル音楽の中で即興するのは不可能である」と宣言していたのだが、その後彼も自身のアルバムでブラジル的主題にジャズの即興を乗せている。

"Brazilliance"は、ブラジル国内ではMusidisc(ムジヂスキ)レーベルで発売され、後にボサノヴァやサンバジャズの第一線を張るような新世代のミュージシャンの間にあっという間に広まっていった。


一方ブラジル国内のサンバジャズの先駆けとして重要な要因は、"Turma da Gafieira(トゥルマ・ダ・ガフィエイラ)"があげられる。


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「Turma da Gafieira」

この革新的アルバムに参加したミュージシャンは以下の通り。
Altamiro Carrilho (アウタミーロ・カヒーリョ / フルート)
Zé Bodega e Maestro Cipó (ゼー・ボデーガ、マエストロ・シポー / テナーサックス)
Raul de Souza (ハウル・ヂ・ソウザ / トロンボーン),
Sivuca (シブーカ / アコーディオン)
Baden Powell (バーデン・パウエル / ギター)
José Marinho (ジョゼー・マリーニョ / ベース)
Edison Machado (エヂソン・マシャード / ドラムス).

ソロで即興を取ること以上に、Edison Machadoの演奏は頑固なサンバ信奉者たちの間に驚きと不評と議論を巻き起こした。彼はライドシンバルをバッキングに利用したのである。これは当時の演奏家にとっては思いつきもしないことであった。

しかし、ジャズ的な即興とは?

演奏家にとっては調和の上に想像力で色付けをした新しいメロディを産み出すことである。
他の言い方では、自発性と独自性を持ちえる環境下で、自らの音楽性を探しまた表現するにあたって完全な自由を得ることであり、それによって音楽に色合い、トーン、ニュアンス、リズムや変調を注入することとも言える。
このため、ジャズは個の音楽と言えるし、即興はジャズの言葉においては外してはいけない要素なのである。

演奏家によって挿入されるこれらの要素を評価するなら、他の演奏家による録音と聞き比べればよい。
どの演奏家もそれぞれのやり方で即興を行うので、どの録音も同じでない事に気がつくはずだ。

多くのブラジルの演奏家がジャズに影響されたという証拠は、50年代と60年代にリオで開かれていたジャムセッションに見て取れる。
YMCA、マッケンジークラブ、フルミネンセFC、ブラジル銀行などの協賛により、上記の形式ばらないなセッションはブラジル記者クラブの保有する3つの公会堂で開かれた。

常連の参加者は以下の通り。

トランペット
Julio Barbosa(ジュリオ・バルボーザ), Clélio Ribeiro(クレーリオ・ヒベイロ), Santos(サントス) Wagner Naegele(ワギネル・ナエジェリ)

サックス
Paulo Moura(パウロ・モウラ), Jorginho(ジョルジーニョ), Zé Bodega(ゼ・バルボーザ), Moacir Santos(モアシール・サントス), Maestro Cipó(マエストロ・シポー), AurinoFerreira(アウリーノ・フェヘイラ), Moacir Silva(モアシール・シウヴァ),Hélio Marinho(ヘリオ・マリーニョ)

クラリネット
K-Ximbinho(カー・シンビーニョ)

トロンボーン
Nelson dos Santos(ネルソン・ドス=サントス), Norato(ノラート), Astor(アストール), Macaxeira(マカシェイラ),Duba(ドゥーバ)

ギターDinarte Rodrigues(ディナルチ・ロドリゲス),Bola Sete(ボーラ・セッチ)

ピアノ
Hugo Lima(ウーゴ・リマ), Chaim Lewak(シャイム・リワーク),Fats Elpidio(ファッツ・エウピーヂオ)

ベース
Vidal(ヴィダウ), Luiz Marinho(ルイス・マリーニョ),José Marinho(ジョゼー・マリーニョ)

ドラム
Anestaldo(アネスタウド),Paulinho Magalhães(パウリーニョ・マガリャンイス),Sutti(スッチ)


同じく50年代には、ラジオMCのパウロ・サントスがリオ市民劇場でのジャズコンサートを二つ企画し、成功を収めた。

1958年になると、ボサノヴァが若者の間に急速に広まり、ブラジルの大衆音楽における旋律、和音、リズムに劇的な変化をもたらした。MPB(訳注:Musica Popular Brasileira、"ブラジルの"音楽をつくろうとするムーブメント)の始まりである。

そして1961年、アメリカンジャズフェスティバルのバンドが来たときと、トランペット奏者ディジー・ギレスピーの5ピースが演奏のためブラジルへやって来たとき、ブラジルの現代音楽は転換点を迎える。

ブラジルへやってきたアメリカのミュージシャンたちはボサノヴァを初めて耳にして衝撃を受けた。
ディジー・ギレスピー、 トロンボーンのカーティス・フラー、 サックスのコールマン・ホーキンスとズート・スミス、フルートのハービー・マンにピアニストのラロ・シフリンは帰国するなり、ボサノヴァをテーマに録音を行った。

Bossa_Nova_New_Brazilian_Jazz[1]    
「Bossa Nova: New Brazilian Jazz」 Lalo Schifrin (1962)

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「Piano, Strings and Bossa Nova」 Lalo Schifrin(1962)  

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「New Wave」 Dizzy Gillespie (1963)

1962年の3月、サックス奏者のスタン・ゲッツはチャーリー・バードのクアルテットと "Jazz-Samba(ジャズサンバ)" を録音。発売後一週間で160万枚を売り上げた。

114821522[1]
Jazz Samba / Stan Getz (1962)

この新たなブラジル音楽の爆発的ヒットにより、1962年12月にAudio Fidelity社の社長シドニー・フレイはアメリカ音楽の殿堂、ニューヨークのカーネギーホールでのボサノヴァコンサートを企画した。さまざまなブラジルのミュージシャン、歌手とバンドがそこで演奏し、アメリカ人にボサノヴァを披露した。このコンサートは録音され、Audio Fidelityから "Bossa Nova at Carnegie Hall" として発売された。

Bossa Nova Carnegie Hall_Capinha
Bossa Nova at Carnegie Hall(1962)

アメリカのラジオDJはこぞってボサノヴァを流した。非公式なれど、これがブラジル音楽国際化の幕開けである。

これと平行して、アメリカのミュージシャンや歌手もブラジルからアーティストを招き、洪水のようにボサノヴァを録音した。このとき招かれたミュージシャンには、Sérgio Mendes(セルジオ・メンデス), Tião Neto(チアオン・ネト), Hélcio Milito(エルシオ・ミリート), Chico Batera(シコ・バテラ)らがいた。

Cannonballs_Bossa_Nova_cover[1]
「Cannonball's Bossa Nova」
Cannonball Adderley & the Bossa Rio Sextet (1962)



まだまだつづく。
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11月・12月のライヴ情報

9、10月とライヴはおやすみしていましたが
11月からまたあります。

11月16日(日)
横浜山下町 491HOUSE
http://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140105/14000515/
Start 19:30~/20:40~/21:50~
料金:投げ銭


12月21日(日)
青山 プラッサオンゼ
http://www.praca11.net/main.html
詳細未定

皆様にお会いできるのを楽しみにしております☆

491HOUSE LIVEのようす
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